2008年12月21日日曜日

池内恵『イスラーム世界の論じ方』とBBC

池内恵[さとし](2008)『イスラーム世界の論じ方』中央公論社を読み終えた。池内氏の本は『コーラン』(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808607442&owner_id=9617647)他、三冊目だが、出版という形を通し、専門分野への深い物事の理解と問題提起を、卓越した文章力と、魅力的な構成力で提供してくれる方だ。 

イスラームという日本では、誤解というか、単純な表面的な理解をされやすい分野を、わかりやすく教えてくれる。イスラームという世界観、絶対の真実の捉え方などと、中近東という言葉から分かるように、欧米とアジアの間にあるという位置づけによる、欧米の価値観との歴史的対立など、示唆に富んでいる。欧米の価値を一気に取り入れ今日があるのが日本であるが、今となっては歴史を忘れていることもあって、イスラームを考えるときの、欧米との価値観との関係によって生じる緊張は、日本を問い直す軸ともなる。 

本社の構成は書き下ろしではなく、氏が雑誌、新聞に発表したものを再構成したため、色々な話が豊かに含まれている。そのうちのひとつ、デンマークの童話作家が、西洋文明の当時辺境ともいえるデンマークから、ドイツ・パリという、文化の中心に触れ、疎外感を感じつつも認められていったことに触れた、エッセイは、似た文脈で、ノルウェーのムンク(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=608240776&owner_id=9617647)を思い出す。さらに、現代イスラームの対アメリカ間にもつながる、近現代のアメリカに触れ、一人はアメリカを約束の地とし同化したヒッティと、魅惑的が堕落した女と見たクトゥブという、氏が2006年にアメリカ研究のシリーズ出版に発表した、二人の異なる体験に繋がってくる。 

アメリカを訪れ、その社会に活力と人類の未来を見たものとしては、これよりはるか前のフランス人、トクヴィルによるものが有名だが、イスラーム世界では、ヒッティとクトゥブの方が知られているようだ。 

ちなみに私自身、デンマークでインターンシップをしていた時、アンデルセンの故郷のオーデンセのアンデルセン博物館で、池内氏が取り上げた欧州旅行での疎外感と、イタリアでの安住感が、「みにくいあひるの子」を生んだことに、今でもとても深い印象を持っていたが、氏の本により、繋がった気もした。 

イスラーム、中近東を理解することに関し、池内氏は日本のメディアにとても厳しい。そんな氏は、BBCやアル・ジャジーラには、世界の市場での競争力では、NHKも含めて(民放はさらに情けない)話にならないことも書いている。実は、私自身も、先日タイで閉じ込められた時、テレビで見ていたBBCの世界を伝える力を再認識し、スカパーでちょうど3日前に、契約復活を偶然していた。アフリカや中近東はもちろんのこと、アジアの情報でも、日本の放送局とは、大きなあるのは、豊富なスタッフを持ちながら、3流の番組しか作れない、メディアの体をなしていない、日本の“メディア”の猛省を促したい。

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