2009年1月1日木曜日

ホーチミンに限らず、絵や工芸品を売る店が多かった。滞在したアパートメント・ホテルの傍に、ギャラリーが3件ほどあった。その中の一軒で、気になる絵があったので、出発の日に再度訪問してみた。 

全部で5枚組の「サイゴン・ウーマン」というシリーズで、中央の一枚が、成長する社会における、女性たちの内面の悩みを描いていると読み取れた。受けた印象は、NYを題材とした「Sex and City」であった。5枚だとやや予算オーバーだったので、女性たちを描いた周りの四枚をまとめて交渉してみた。 

一枚200$をまとめたら、150$という話だったが、思い切って4枚で300$でギャリー・オーナーに作家と交渉してもらったら、オーナーも驚いたことにOKが下りた。銀や金も使っていて材料費も高いので、「信じられない」とのことだったが、オーナーが「二度も見に来たぐらい気に入っている」と話してくれたのが効き目があったようだ。 

オーナーのVanさん自身もヴェトナムで一番のホー・チミン芸大卒。芸術では食えないのはヴェトナムも日本と一緒のようで、デザインの仕事をして金を稼いで、自分のギャラリーをオープンし、若手画家に活躍の場を上げようとしているという、見上げた人だった。4枚組を買った作家はベテランだが、旦那に食わせてもらえるので、創作活動を続けてこれたらしい。絵の市場は会社のインテリアとして買われることも多いが、創作活動だけで食っていけるのは、ごく僅かの有名画家だけに限らるのが、実情のようだ。 

日本国内でも年に2枚ぐらい細々と絵を買ってきたが、これからは、アジアの各国で、面白そうな若手画家の絵を買うことに、これを契機に方針を転換した。

2008年12月21日日曜日

池内恵『イスラーム世界の論じ方』とBBC

池内恵[さとし](2008)『イスラーム世界の論じ方』中央公論社を読み終えた。池内氏の本は『コーラン』(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808607442&owner_id=9617647)他、三冊目だが、出版という形を通し、専門分野への深い物事の理解と問題提起を、卓越した文章力と、魅力的な構成力で提供してくれる方だ。 

イスラームという日本では、誤解というか、単純な表面的な理解をされやすい分野を、わかりやすく教えてくれる。イスラームという世界観、絶対の真実の捉え方などと、中近東という言葉から分かるように、欧米とアジアの間にあるという位置づけによる、欧米の価値観との歴史的対立など、示唆に富んでいる。欧米の価値を一気に取り入れ今日があるのが日本であるが、今となっては歴史を忘れていることもあって、イスラームを考えるときの、欧米との価値観との関係によって生じる緊張は、日本を問い直す軸ともなる。 

本社の構成は書き下ろしではなく、氏が雑誌、新聞に発表したものを再構成したため、色々な話が豊かに含まれている。そのうちのひとつ、デンマークの童話作家が、西洋文明の当時辺境ともいえるデンマークから、ドイツ・パリという、文化の中心に触れ、疎外感を感じつつも認められていったことに触れた、エッセイは、似た文脈で、ノルウェーのムンク(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=608240776&owner_id=9617647)を思い出す。さらに、現代イスラームの対アメリカ間にもつながる、近現代のアメリカに触れ、一人はアメリカを約束の地とし同化したヒッティと、魅惑的が堕落した女と見たクトゥブという、氏が2006年にアメリカ研究のシリーズ出版に発表した、二人の異なる体験に繋がってくる。 

アメリカを訪れ、その社会に活力と人類の未来を見たものとしては、これよりはるか前のフランス人、トクヴィルによるものが有名だが、イスラーム世界では、ヒッティとクトゥブの方が知られているようだ。 

ちなみに私自身、デンマークでインターンシップをしていた時、アンデルセンの故郷のオーデンセのアンデルセン博物館で、池内氏が取り上げた欧州旅行での疎外感と、イタリアでの安住感が、「みにくいあひるの子」を生んだことに、今でもとても深い印象を持っていたが、氏の本により、繋がった気もした。 

イスラーム、中近東を理解することに関し、池内氏は日本のメディアにとても厳しい。そんな氏は、BBCやアル・ジャジーラには、世界の市場での競争力では、NHKも含めて(民放はさらに情けない)話にならないことも書いている。実は、私自身も、先日タイで閉じ込められた時、テレビで見ていたBBCの世界を伝える力を再認識し、スカパーでちょうど3日前に、契約復活を偶然していた。アフリカや中近東はもちろんのこと、アジアの情報でも、日本の放送局とは、大きなあるのは、豊富なスタッフを持ちながら、3流の番組しか作れない、メディアの体をなしていない、日本の“メディア”の猛省を促したい。

2008年12月16日火曜日

サブ・プライムとシステムの安定性

サブ・プライムから引き起こされたともいえる現在の未曽有の不況。しっかり理解したいと思っていたところ、良い本を見つけた。竹森俊平(2008)『資本主義は嫌いですか:それでもマネーは世界を動かす』日本経済新聞出版社。一言で言うと題名は最低だ。マネーにそもそも価値のないものに、バブル的な約束事で価値を作り、それと同じ原理で、世代間の資産移転を(年金など)をするところから話が始まるので、こんな題名が付いているのだろうが、本題は、その理解をもとにした、現代の金融システムの脆弱性(負の連鎖が爆発的に生まれる、金融派生商品、時価会計制度、金融マン達のインセンティブ構造)と、それを誘発した諸要因が、見事に、ジグゾー・パズルのように説き起こされる。 

2008年もいろいろないい本に巡り合えたが、この本は秀逸だ。簡単に言うと、1997年のアジア通貨危機以来、低所得国の経済成長がその国の中で、経済成長に見合う投資機会を見つけづ、金余りとなり、高所得国(アメリカのこと)に向かった。そこに、不動産価格への楽観店観測から、サブ・プライムで、通常ではリスクが高すぎる低所得者に、ローンを成立させ、そのローンを切り分け、切り分け、証券化し、金融機関を回りながら、投資機会を必要とする金が、ヘッジ・ファンドなどを介して結びついた。 

ここに、目先の利益を上げれば、巨万のボーナスが上がる昨今の銀行・証券のボーナス(インセンティブ構造)が結びつき、モラル・ハザードのネズミ講構造となった。いわゆるバブルがあっという間に膨らむような、金融界の構造が、21世紀の始まりに成立した。一方、金融機関間は、時価会計により、いったん価格が下がると、スパイラル式に、銀行間の流動性が低下し、それがさらに資産の価値を下げまくる仕組みもあった。 

すなわち、金余りが上にも下にも、極端に振れる構造と結びついたと理解できる。ヘッジ・ファンド国家のアイスランド、油に向かった投機など、昨今の現象がよく整理できた。 

システムのカオスの意味や、インセンティブ構造における、プリンシパル(所有者)とエージェントのことをすこし知っていたので、著者のシステムの安定性や、行動経済学的な議論も素直に入った。 

このプリンシパルとエージェントの理論。とてもお勧めな考え方だ。20年前にビジネス・スクールで、当時米国ではその分野の第一人者のDemskiというスタンフォード出身の教授に習ったのだが、それ以来の仕事で、常に応用可能な理論だった。なかなか哲学的な語り口で理解に苦労したが、そのかいがあったし、竹森氏の本にも出てきたことにも驚いた。 

この本の第二章は、2005年5月にワイオミング州の国立公園内の美しい街、ジャクソン・ホールで、グリーンスパンをたたえる形で開かれたシンポジウムの熱い議論も伝えている。結果としてはサブ・プライム問題を起こした金融技術と市場を擁護するラリー・サマーズなどのグリーンスパーン派に、今となっては先を見ていたかのように、金融システムに潜む問題を訴えた、シカゴ大学のラグー・ラジャンの孤軍奮闘ともいえる勇気ある警鐘が、ベアー・スターンズに対する、素早い対応、欧州における流動性確保のための各中央銀行の素早い対応につながった話は、さえない、日本の、“中央銀行家”たちには、しっかり読ませたいものだ。 

さて、現在の不況とそれを生んだ世界経済の構造が理解できた時点で、個人的には、どのようにカードを張るのか。今月はじっくりと、考えてみたい。 

2008年12月13日土曜日

田中優子のカムイ伝講義


田中優子(2008)『カムイ伝講義』小学館、を読んだ。田中優子(http://ja.wikipedia.org/wiki/田中優子)はご存じ江戸学者で、江戸ブームを作った人だ。どちらかというと町人の文化を中心に興味を持っている人かと思ったが、カムイ伝を通し、農民、武士(そしてカムイの出自である、えた、非人階級)の生きざま、世界経済・社会、そしてそのような背景で生きて、死ぬということも含め、深いテーマを解説している。

思えばカムイ伝とは小学校から(ませていたので)、高校にかけて読んだ気がする。解説も多く、わかりにくいところもあったが、筋の展開だけでなく、生きていく登場人物たちの力とエネルギーに引きつけられてのかもしれない。大学で寮生活していた友人が全巻持っていて、夢中になって読み返したこともあった。

それが今、田中優子の解説を通じ、背景も含め、そうだったのかと、振り返ることができた気がする。カムイ伝、田中優子のカムイ伝講義、そして、佐倉の国立歴史博物館、この3点セットはお勧めだ。

2008年12月7日日曜日

アーキテクチャの生態系

濱野智史(2008)『アーキテクチャの生態系:情報はいかに設計されていきたか』NTT出版、を読んだ。Googleがネットのインフラを形成するととらえ、Blog、Wiki、Mixi,2ちゃんねる、YouTubeなど、基本的な仕組みを、ユーザーが意識することなく、行動をコントロール仕組み、すなわちアーキテクチャとしてとらえ、それがあたかも生態系のように変容していく様をとらえようという試みだ。

これらの仕組みのそれぞれを整理して理解することができたこともありがたかったが、濱野氏の、ネットにおける、日米の社会の比較は、とても示唆に富んでいた。すなわち、米国発のネットの仕組みは、個人が実名を出し、意見を言い、それによって、社会的合意を形成する米国の社会制度・文化を反映している。一方、Mixiや2ちゃんなるなどの日本で発展してきたシステムは、共同体内の閉鎖的関係をより親密にしがちな、日本社会の制度・文化を反映しており、個人の実名での、広範囲の社会に対する、意見表明を、想定していない。Mixiでのコミュニティを米国的民主主義の形成に利用しようと試みては、あまりうまくいっていない試みを見ると、濱野氏の整理は的を得ている。

わたし自身がMixiで書いている日記の約7割が広範囲の読者を想定、残りの3割がごく親しい友人を想定して書いており、公開範囲を後者では限定することにより、この使い分けをコントロールしている。後者についてはこの方法でいいが、前者については、特にMixiでは原理上、限界がある。そこで、本日から、広範囲に公開するものはGoogle系のBloggerにし、そこにMixiからリンクを張る形にしてみることにした。Bloggerにしたのは、サーチでは濱野氏が言うまでもなく、圧倒的に強力な基盤インフラであるGoogleとの相性が、キーワードの設定も含め、良いためである。ただこのBloggerのエディター、改行がないので、使いにくい。まあ、慣れてくれば、効率よくできるのであろうか。

おりしもそんなMixiが招待制から、自由参加に、参加の条件を変更するという。会員数の増加を図るための処置らしいが、招待の敷居がもともと低いので、具体的な変化は読みにくいが、濱野氏の例によると大きなモデルチェンジということになる。注目したいところだ。

2008年12月4日木曜日

友人のヘッジ・ファンド

Yale時代の友人が日本代表に就任したヘッジ・ファンドのパーティに六本木ヒルズに隣接するハイアットまで行ってきた。 

このご時世に、一流ホテルでパーティを開けるヘッジ・ファンドがあるなんて。ちょっと半信半疑だったが、盛況で、楽しい会だった。ヘッジと言っても、レベレッジ(借り入れによる梃)なし。直接資本金を入れるのではなく、売掛金(AR)を担保に、好条件で融資し、その見返りに、株式を譲与させるというユニークな方式。 

現在の経済条件にもかかわらず、コンスタントに利益を上げているそうだ。クラシックの四重奏あり、おいしい食事といいお酒あり、来られた方も面白い人たちだった。ファンドの創設者もNYからきていて、結構話ができた。 

必ずしも簡単な仕事ではないと思うが、友人には、ぜひ頑張ってほしいものだ。